まず、これまでの伊藤レポート1.0、伊藤レポート2.0などを振り返り、どのような経緯で伊藤レポート3.0が策定されたのかを解説します。
そして企業の長期的な価値創造に向けた取り組みについて、投資家などの外部関係者と建設的・実質的な対話を行うためのガイドラインである価値共創ガイダンス2.0に関しても見ていきます。
本記事を参考に「伊藤レポート3.0」の全体的な概要をつかみましょう。
「伊藤レポート」とは
伊藤レポートとは、一橋大学大学院商学研究科の伊藤邦雄教授(2014年当時)が、経済産業省が主催する「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家との望ましい関係構築~」プロジェクトで取りまとめた報告書を指します。当プロジェクトの座長が伊藤氏だったので伊藤レポートと呼ばれているのです。
安倍第二次内閣が掲げた、アベノミクス3本の矢の3番目の成長戦略で「日本再興戦略」が打ち出されました。
その中で、日本では企業の「稼ぐ力」(資本の効率性を伴った利益)が欧米企業より劣後しており、その結果イノベーションが進まない構図が判明しました。このプロジェクトを通じてコーポレートガバナンスを強化し、企業が投資家との建設的な対話を通じて長期的な資金の調達を図り、企業価値の向上を高めるため、企業経営の課題について分析・提言を示したものです。
伊藤レポートが生まれた背景
日本企業には世界有数のイノベーションを生み出す力があると考えられていますが、バブル崩壊後も株価は低迷を続け、企業の収益性も低下していました。
一方、資本市場のグローバル化は進展し、外国人投資家やヘッジファンド、アクティビストなど、さまざまな投資手法でリターンを得る多くの投資家が日本の株式市場に参入したのです。すると投資家との対話において祖語が生じるケースが増えました。
例えば、企業経営者の同意を取り付けずに直接株主に特定企業の株式の買取を呼びかける敵対的買収提案や、取締役会に株主総会の議案を提案するアクティビスト投資家など、企業の長期的な「企業価値創造」への十分な理解が得られなかった事例がありました。
こうした現状を打破するべく、中長期の目線を持つ企業と投資家との建設的な対話による企業価値の「協創」を通じて、企業が長期的な「稼ぐ力」や資本生産性の向上を図る必要性が認識されたのです。
過去に発表された伊藤レポートの要点
これまでに経済産業省から発表された伊藤レポート関連の流れと概要は以下の通りとなります。
日付 | レポート名 | 概要 |
---|---|---|
2014年8月 | 伊藤レポート | 企業価値向上・ROE目標水準8%上回ることを最低水準とする |
2017年10月 | 伊藤レポート2.0 | ESG・無形資産の対応を重視 |
2022年8月 | 伊藤レポート3.0 | SXな企業価値創造 |
順番に詳しく見ていきましょう。
資本コストを上回るROEの達成を企業に要請「伊藤レポート1.0」
企業が低収益で資本効率も低ければ、持続的な企業価値の向上は望めません。
企業が投資家とともに企業価値向上を目指し、企業が資本効率を上回る価値を投資家に提供するKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)としてROE8%を上回るのが最低水準として提案されました。日本企業はグローバル水準で見てもROEの水準は低く、これは資本効率が低いため、イノベーションも発揮されず、株価の低迷の要因とされていたからです。
(画像出典:経済産業省「伊藤レポート3.0」)
非財務情報も視座に加えた「伊藤レポート2.0」
伊藤レポート1.0では、企業の「稼ぐ力」を底上げするために、ROE8%などの目標を提案し、大きな注目を集めました。
伊藤レポート2.0は、企業の競争優位性やイノベーションの源泉となる「稼ぐ力」をさらに向上させるためにはROEなどの財務数値だけではなく、人材・技術・ブランドなどの無形資産への投資やESGへの対応が必要であると述べました。
そして無形資産投資やESGへの対応が、各企業の持続可能な企業価値の向上に必要であると、投資家と正しく対話するための「共通言語」として価値共創ガイダンスを策定し提案しました。
伊藤レポート3.0の概要
2022年の同3.0において、気候変動や人権問題といった社会の持続可能性に対する要請にも応えるトランスフォーメーションの羅針盤として発表されました。以下詳しく見ていきましょう。
サステナビリティへの対応
気候変動、人権問題、あるいは新型コロナウイルスをはじめとした疫病などに社会のサスティナビリティが脅かされていますが、これらの状況は中長期的な価値向上を目指す企業の活動にも大きな影響を及ぼしています。
したがって、社会のサステイナビリティへの企業対応は、単なるリスクへの対応だけではなく、長期的な企業価値の向上に向けた経営戦略の根幹にもかかわる重要な課題です。
例えば強制労働により作られた原材料や製品を使う企業などが社会の批判を浴びてブランド価値を棄損し、CO2排出削減に貢献しないエネルギー資源を使用する発電所や、そういった施設に対するファイナンスを提供する金融機関などが厳しい評価を受けるなど、中長期的な経営に影響を与えています。
企業が持続的な稼ぐ力を向上させるためにも、サスティナビリティを経営に取り組むべきだと言えるでしょう。
SXの実践がこれからの稼ぎ方の本流に
伊藤レポート3.0では、企業のサステナビリティと社会のサステナビリティを同期化させ、そのために必要な経営・事業変革が必要であると提唱しました。これをサステナビリティ・トランスフォーメーション、SXと同レポートでは述べています。
なお同期化とは、企業が社会の持続可能性に向けた価値提供を行い、社会の持続可能性の向上を通じて、自社の長期的・持続的な価値の向上を生み出すことです。
今後、長期的な企業価値(稼ぐ力)を向上させるためには、SXを企業経営に取り入れることがグローバルの水準から見ても本流です。
日本全体でSXを効果的に推進していくことが必要
SXを推進・実現するためには、企業だけでなく、周りを取り巻く利害関係者との相互理解が必要です。
企業に資金を提供する投資家、取引先、消費者、労働者などのインベストメントチェーン全体で持続可能で長期的な企業価値の向上を共有していくようにしましょう。
SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)とは?
SXとは企業が持続可能な企業価値の向上を図るために、経営や事業の変革を行うことを言います。
急変する社会環境の変化にも対応し、社会のサステナビリティに対応し、社会課題の解決などの貢献を通じて企業自身の価値向上に結びつけるために、企業の経営や事業変革(トランスフォーメーション)が必要となります。
さらに、SXを実現するためには、自社のみならず、自社のインベストメントチェーンやバリューチェーンで協創していくことが何より求められます。
伊藤レポート3.0が示すSX実現のための取り組み
まず、目指す姿を明確にし、次にそれに向けた戦略を構築。さらにその戦略を推進・管理していく経営体制と推進度合いをあらわすKPIを設定し、市場・投資家等との実質的な対話を通じて向上させていくべきであると示しています。
(1)社会のサステナビリティを踏まえた目指す姿の明確化
社会のサスティナビリティに対して、自社の価値観を示し、その価値観を通じて自らの企業活動と関連して解決すべき重要課題を明確にするべきでしょう。
その上で、自社の価値観や課題などとすり合わせて、どのように社会のサスティナビリティに価値を貢献し、それが自社の価値向上につながるのかといった目指す姿の明示が必要です。
目指す姿の設定には、短・中・長期の時間軸における社会の変化を想定し、その中で自社の価値向上に向けた戦略の構築も忘れてはなりません。
(2)目指す姿にもとづく長期価値創造を実現するための戦略の構築
目指す姿を達成するための長期的な戦略を構築し、それを短・中・長期の時間軸別に戦略アプローチを求めています。
目指す姿を達成するための長期的戦略の構築には、それを実現するための最適な事業戦略の再構築・変革や長期的な事業の機会やリスクの分析など経営戦略の根底から考えていく必要があります。
目指す姿と現状のギャップを把握するためには、自社の事業環境・競争優位やその源泉である経営資源を正確に理解するため、自社の経営成績や財政状態に関する分析が重要です。
(3)長期価値創造を実効的に推進するためのKPI・ガバナンスと、実質的な対話を通じたさらなる磨き上げ
投資家をはじめとした外部利害関係者が、企業が示す目指す姿に到達しているかについての測定をする仕組みとして、ガバナンス(企業の経営をどのように治めていくのかの経営の体制)と、財務指標でもあるKPIを通じたコミュニケーションは望ましいとされています。
ガバナンスやKPIも目指す姿のための長期戦略に沿ったものであるべきで、KPIは短・中・長期の目線での達成見込みを示し、投資家への理解を求めます。
また、投資家やESG評価機関との建設的・実質的な対話を通じて長期的な戦略のフィードバックも受けながら、目指す姿に向けた戦略への参考にするなど有益なコミュニケーションを図りましょう。
「価値協創ガイダンス2.0」の活用
SXの実現を進めるための企業の目指す姿やそのための長期的な企業価値の向上の戦略は、企業単独で策定されるものでなく、インベストメントチェーン全体で共有し、築き上げていくものです。
経営者はそのために価値共創ガイダンスを積極的に活用し、利害関係者への理解を求めていくべきでしょう。
「価値協創ガイダンス2.0」とは?
価値協創ガイダンス2.0は2022年の伊藤レポート3.0の発表と同時にSXを実現するために、企業と投資家の建設的・実質的な対話のための羅針盤として公表されました。
「価値協創ガイダンス」は企業と投資家を繋ぐ「共通⾔語」
価値協創ガイダンスは2017年に発表され、長期的な企業価値の向上のための企業の戦略や投資を投資家に効果的に伝えるために活用するガイドラインとして策定されました。
一方、投資家などに対してもこのガイダンスを共有し、企業の持続的な成長に対する理解を深めるとともに、企業への建設的な対話を要請したのです。
したがって、企業と投資家などを結ぶ共通言語の役割を担いました。
サステナビリティ経営の効果的な情報開示を提案
企業経営者は投資家などに長期的な企業価値の向上について、SXを実現するための自社に固有な価値創造ストーリーを明確に打ち出す必要性があります。
投資家サイドも短期目線に陥りやすい証券アナリストや長期のアクティブ投資家層の理解や拡大などが課題です。
特に、多数の事業を抱える企業に対する事業ポートフォリオ戦略、イノベーションや新規事業の立ち上げにともなう短期的な投資に対する認識や、ESGに対する理解などに双方のギャップがあり、この差を価値共創ガイダンス2.0を羅針盤として解消しました。より実質的な対話を促進するための情報開示を提案しています。
SXを実践している企業の事例
具体的にSXを推進、実践している企業を紹介します。ESGへの取り組みの参考としてください。
製品の外袋を紙パッケージへと切り替え「ネスレ日本」
「キットカット」などのチョコレート菓子を展開しているネスレ日本は、大袋版のキットカットの外袋をプラスチックから紙のパッケージに切り替えました。これにより、年間約450万トンのプラスチックごみの削減を目指し、リサイクル可能な紙を活用し、プラスチックの「リデュース、リサイクル」に貢献しています。
Smart Fillを開発「ユニリーバ」
インドにおいて、自動販売機「Smart Fill」を設置し、液体日用品の量売りを実施しています。消費者は、自宅から液体が入る容器を持参し、欲しい製品を欲しい量だけ購入することが可能です。そしてユニリーバはプラスチックのリサイクル、リデュースを進めながら自社の製品を消費者に購入してもらう仕組みを作りました。
Fujitsu Uvanceを策定「富士通」
富士通では、2020年に企業パーパスを刷新し、全社を挙げてSXに取り組んでいます。2021年に「Fujitsu Uvance」を策定し、社会の課題解決に対して価値の提供を各事業でアプローチする体制を整えました。
「サステナビリティ貢献賞」などの評価の仕組みをつくり、ICTで社会課題を解決し、社員の日常業務に「社会課題の解決」を価値観として植え付けようと試みています。
持続可能なエネルギー構築の取り組みを実施「日立エナジー」
日立エナジー社は、日立製作所が買収したABB社と日立の事業部門が統合してできた会社です。同社は重電事業のエネルギー効率化などを通じてサステナビリティに貢献するサスティナビリティ・トランスフォーメーションに取り組んでいます。
アメリカの南極観測基地であるマクマード基地に南極の強風を活用した風力発電を導入するなど再生可能エネルギーの推進を行っています。
まとめ
伊藤レポート3.0は、企業が持続的に稼ぐ力を向上させていくためには、社会の課題の解決に対する価値貢献を実現し、自社の価値向上も図ろうとするSXを提唱しています。
SXを実現するために企業は目指す姿を明確にし、その姿に向けた長期的な経営戦略を策定した上で、その戦略を可能とするガバナンスやKPIの設定が必要です。
こうした企業独自の価値創造ストーリーをインベストメントチェーン全体と共有し、建設的・実質的な対話を効果的に行うため、価値共創ガイダンス2.0も策定し、企業と投資家の対話の羅針盤を示しています。
企業、投資家、労働者、取引先そして消費者の全てがSXの意識を持って、社会の課題の解決と企業の持続的な価値向上を実現させていきましょう。