新しい薬の開発でコンピュータやインターネット技術を活用する「IT創薬」が、いま大きな注目を浴びています。この記事ではIT創薬に関する基本的な知識と、IT創薬が医療業界にもたらすメリットや将来性などについて詳しく解説します。
IT創薬とは?
IT創薬とはコンピュータ上で仮想的に薬を設計・評価する各種の技術を活用して新薬を開発することです。
創薬では標的となるタンパク質の立体構造に基づいて新薬の候補になる化合物の探索や設計、評価を行いますが、IT創薬ではこの探索や設計をコンピュータによるシミュレーション技術を利用して効率よく行えるのが特徴です。
コンピュータによるシミュレーションを活用することで、試薬を使って実際に合成する実験や、動物実験の回数を減らせることが大きなメリットです。
また、標的タンパク質の立体構造の細かい分析や。新薬候補になる物質の分子構造に関する細かい予測など、従来のアプローチでは困難とされていたことも、コンピュータを駆使したシミュレーションにより実現できるようになっています。
また、IT創薬にコンピュータが自律的に学習を深めていくディープラーニング(深層学習)を取り入れる試みも盛んになっています。データマイニング専門の世界的なコンサルティング会社が主催して2012年に開催された創薬コンテストにおいて、ディープラーニングを駆使したチームが優勝したことで、この技術を創薬に活用する動きが急速に広がりを見せることになりました。
しかし、ディープラーニングに使える学習データ量が現状では圧倒的に不足しており、実際の現場に投入できるレベルには到達していないのが実情です。ただ、分子の構造を計算する新しいアルゴリズムなど画期的な技術も次々と登場しており、将来的には新たな化合物をコンピュータ上で設計することも可能になるとみられています。ディープラーニングの実用化へ向けさらなる飛躍に期待が寄せられています。
2018年には新規低分子化合物の創出に成功
各種の研究が進む中、東京大学先端科学技術研究センターと富士通、製薬会社の興和が共同でIT創薬による低分子化合物の新規創出に成功したことを2018年6月に発表しました。
この新規低分子化合物は、がんの原因となる特定のタンパク質を標的にして活性を抑える性質があります。従来の治療薬では効果が薄いがんの治療薬として期待できると考えられており、新薬の実用化に向けてさらなる研究が続けられています。
IT創薬に関するこのプロジェクトは2011年にスタートし、複数のターゲットに対して研究が進められていましたが、この低分子化合物に関する研究と設計は2015年12月にスタートしてからわずか3年足らずで新規創出にこぎ着けています。
この研究では、東大先端研が提供した医学的見地に基づく情報などをもとに、富士通がデータを解析しコンピュータ技術を駆使した低分子化合物の構造設計を行い、その設計をもとに興和が実際に合成を行い検証するという形で役割分担を行っています。各分野での知見や技術をコンピュータ技術のもとに結集することで、今回のような目覚ましい成果につながったと言えるでしょう。
IT創薬によって医療業界はどう変わる?
では、IT創薬が医療業界にどのような変化をもたらすのでしょうか。ここでは2つの観点から見てみましょう。
新たな化合物を作り出す
IT創薬の利点として、薬の原料になりうる化合物で自然界には存在していない化合物を創り出すことができるということがあります。
薬は体を構成するタンパク質で疾患の原因となっている部分と結合して効果を発揮する仕組みになっています。新薬を創り出す場合には、まず疾患の原因となるタンパク質を特定し、そのタンパク質に作用する化合物を探すといった手順で行われます。もちろん、組み合わせの可能性は無限大に存在するため、実験を行って試行錯誤しながら最適な化合物を探し当てるまでに膨大な時間を要することになります。
しかし「IT創薬」では、タンパク質の分子配列や形状などを分析して、そのタンパク質に効果があると考えられる化合物のデザインができるようになったのです。それまで存在していなかった化合物を作り出すことで、治療薬がないとされてきた疾患の特効薬を開発できる可能性が出てきたというわけです。
また、タンパク質と化合物の結合が安定しているかどうかも効能にかかわる要素ですが、経験とインスピレーションに頼って実験を行う従来の手法では成功する組み合わせにたどり着くのが難しく、研究が進まない一因となっていました。
しかし、組み合わせに関するシミュレーションの精度を高める技術が開発され、精度の高い予測を行えるようになったことで、新薬開発に伴う時間を短縮することができるようになっています。
創薬研究開発のコスト削減
新薬を開発する「創薬」には巨額の開発費用と長い時間がかかります。現代において新薬の開発に成功して認可される確率は1/25000以下で、研究開発には10年以上、費用も1000億円以上かかるといわれています。
その課題の解決方法として大きな期待が寄せられているのが「IT創薬」です。最新のコンピュータ技術を利用して、開発にかかる時間やコストを削減して効果的に新薬を生み出そうとする取り組みです。
既存の化合物やシミュレーションによってデザインされた仮想化合物を生体のタンパク質と一つずつ突き合わせ検証して結合予測を行う作業で膨大な計算処理が必要となりますが、この複雑な計算をコンピュータに任せることで、スピーディーな開発が低コストで実現できるとして大きな期待が寄せられています。
AI活用でイノベーションを加速
創薬にAIを活用することで、人間が行っていた作業スピードからは想像できないような速さで研究や開発が進められることが期待されています。
米国のベンチャー企業が大学のグループと共同で行った研究では、データの解析にAIを活用することで、これまでは少なくとも2~3年はかかっていたプロセスをわずか21日間で終えることができたと2019年に発表した論文で報告しています。
この研究では、新薬の候補になる化合物3万種類を21日間で設計して、さらに候補を6つまで特定して臨床実験の前段階にたどり着くまでの全プロセスをわずか46日間で終了したと発表しています。
これらの技術はまだ実験段階であり実用には至っていませんが、今後のさらなる研究開発が期待されています。
まとめ
1つの新薬を開発して発売にこぎ着けるまでには膨大な手間やコストがかかりますが、創薬にITを活用するIT創薬で、開発にかかるコストを大幅に削減できる可能性があります。難病に対する新たな治療薬へのニーズは非常に高く、効率的な新薬開発や研究において一連のIT創薬の技術が重要な役割を果たすとみられています。